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tetsuro narumi interview/two

津軽のりんご園に働き、この土地でしか生まれ得ない歌を、しかし濃厚な自我とルサンチマンの呪縛に捕われがちな〈津軽の表現者〉のステレオタイプからは遠く離れた場所で静かに紡ぎ続けるシンガ・ソングライター、鳴海徹朗。ここでは、長谷川健一や日本のインディー・シーンにおける良心の一角を担ってきたSunrain Recordsとの出会いから彼の歩みを振り返るとともに、ゆーきゃん『あかるい部屋』、そして最新作『時計台』の主要メンバーを従えて制作された鳴海徹朗にとって初のバンド編成録音作となるサード・アルバム『銀色の丘』について語ってもらった。(インタビューは2016年3月収録)

この日、鳴海徹朗は最後に「聴き手が抗えずに聴いてしまうような曲が作りたい」と語った。 彼の根源にはこうした熱い表現欲求が確かに存在しているのに、そこから生まれる表現はなぜ自我の存在の感じさせない〈津軽の風景〉の歌として結実するのか。〈メロディーと言葉のパズル〉の求道者が語る『銀色の丘』、そして故郷との距離感からその秘密に迫る。

 

【才人たちとの縁】

――アルバムはいつ頃から制作を始めたんですか?

「2〜3年前にゆーきゃんがバンドでこっちに来たことがあって。その時に〈鳴海くんもこのメンバーで録ろうよ〉と言ってくれたんです」

――『あかるい部屋』(2012年)のツアーのときですね。

「〈じゃあやろう〉と思って。ただ僕も畑以外に早朝の仕事を掛け持ちしてたものだから…(完成まで)えらい時間がかかりました(笑)」

――そもそもゆーきゃんさんとの出会いはどういう形だったんですか?

「僕が最初の音源ができたときに、長谷川健一さんに送ったんです。そしたら当時ゆーきゃんがやってたSunrain Recordsに紹介したいと言ってくれて。わりとすぐに繋がりましたね」

――そこからゆーきゃんさんからもリアクションがあったということですよね。

「そうなんです。すごく気に入ってくれて」

――お2人の音楽って、違うといば全然違うけど、似たような空気感を感じなくもなくて。

「僕はゆーきゃんに出会ってからけっこう影響は受けたんですが…どちらかと言うと僕の方が俗っぽいというか(笑)。“雪が降る”とかね。あの人は文学オタクみたいな部分があって〈文学に音が付いてる〉みたいな印象がありますね」

――ジャケット写真は八甲田方面の田代平湿原で鳴海さんが撮影したんですよね。

「一戸くんって友人がPVを撮ってくれるという話があって。そのロケハンで田代平湿原に行ったんですが、僕はただ遊びのつもりで彼の後ろ姿を撮ってたんです。後にタイトルが『銀色の丘』に決まって、どんなジャケットがいいかなと考えたときに(田代平湿原の写真を見返して)これはいけるな、と思って。たまたまですけどね」

――じゃあ撮影の段階から何かをイメージして撮ったわけではないと。

「とはいえ〈いい構図なだ〉とは思っていました。そのときはジャケットに使うなんて考えてはいなかったけど」

――鳴海さんは写真もやってるんですか?

「いえいえ。タブレットのカメラでたまたま撮れた1枚です。場所がよかっただけでしょうね。(一戸くんのことをよく知っている)nicotoneのユウキくんは〈ムカつく!〉って行ってましたけど(笑)」

――『銀色の丘』を含め、鳴海さんのアルバムはこれまで全部が封筒に入ってて、あれいいアイディアですよね。

「あのアイディアは卓くんなんですよ。nor thmall labから。意外と好評で、今回のバンドメンバーも〈なんだかんだでいいアイディアだよね〉って言ってて。ただ最近、ちょこちょこ不評の声も聞こえてきてます(笑)。〈俺、封筒はビリビリ破いちゃうタイプなんだよ〉とか。切らなきゃいけないのが嫌だったみたいで」

――それでも続けるんですか(笑)?

「やりたいけど、今後リリースをどこかに委ねるとなると難しいかな」

――封入作業も鳴海さんが一枚一枚手作業でやってるんですか?

「今の作品はそうですね。前の作品は卓くんがやってくれてました」

――先ほど、『銀色の丘』はゆーきゃんさんから声がかかってバンド編成で作ることになったという話がありましたが、もしそれが無かったら前2作に続いて弾き語りの作品になっていたんでしょうか?

「そうでもなかったと思います。メンバー探しに苦労するだろうなという覚悟はあったけど、ちょうどそんなことを考えていた時期に声をかけてもらったので、すごくいいタイミングでしたね」

――そうでしたか。録音を担当したWATER WATER CAMELの田辺玄さんは今作のキーマンだと思うんですが、出会いはいつだったんですか?

「ゆーきゃんが弘前に来たときに会ったのが初めてでしたね。ドラムのsenoo rickyくん(シスターテイル/LLama/YeYe band)はそのとき来れなかったけど、ゆーきゃんととベースの田代貴之さん(ex.渚にて)、ピアノの森ゆにさんはその前から面識はありました。ゆーきゃんはバンドで来れないときも田代さんはよく連れて来るんです」

――『あかるい部屋』のメンバーですもんね。

「はい。ちょうどゆーきゃんの新作(『時計台』)も出るんですが、それも基本のメンバーは同じで。今回はわりとゲストが多いみたいですけどね。聴くのが楽しみでもあり怖いです。年季が違うから、息が合っているところが魅力ですよね。僕の場合はあのメンバーたちとはまだまだこれからなので」

――バンドのアレンジはどうやって練っていったんですか?

「メンバーが散り散りで、特に僕が一番遠いからそうそう何度も会えない。なので僕があらかた固めてデモを作って、本当に細かいところまではみなさんにお任せだったけど、だいたいの雰囲気は作って〈これでお願いします〉という感じでした。やっぱり凄いメンバーたちで、今回“三月”って曲がありますけど、あれのベーシックトラックはワンテイク目を使ったんです」

――本当にそういうことってあるんですね。

「3回くらい録ったけど〈最初のが一番良かったな〉ということになって。“三月”については、普段から〈アップテンポな曲もあった方がいいんじゃない?〉と言われがちだったこともあってか、それを意識して作りすぎたところがあって。今自分で聴き返すと恥ずかしいんですが、意外と評判がいいのでほっとしています」

――セッションはどこで何回くらいやったんですか?

「レコーディングまでやっていないです。toeやクラムボンも使ってる山梨の小淵沢にあるスタジオ(星と虹レコーディングスタジオ)が初めて」

――ミックスやマスタリングには立ち会ったんですか?

「はい。去年の12月に。その作業は甲府にある田辺さんのスタジオ(Studio Camel House)が完成していたのでそっちでやりました」

――どういった注文を出したんですか?

「玄さんが基本的にはある程度やっていてくれて、それを聴いて細かいところにちょっと指示を出したくらいですね。全曲に多少注文は出しましたけど、雰囲気はそんなに変わってないかな。録り音に関しては、あまり奇麗すぎもしないし、僕の雰囲気に合わせてくれたような気はします」

――森ゆにさんと初めて会ったのは弘前?

「それは僕が呼んだんです。あの人の『夜をくぐる』というアルバムと僕の『美しい叫び』がSunrain Recordsで扱われ始めたのが同時期で、ホームページの中で偶然作品が並び合っていたんです。気になって聴いてみたらすごく良くて。その頃ちょうどTwitterを始めた時期で森ゆにさんのこともフォローしてたんですが、僕が30歳になった日に見たら、彼女が〈今日で30歳になりました〉とツイートしてて。同じ生年月日だったんです」

――すごい! それもまた運命的ですね。

「それで親近感を持ちまして。そしたらゆーきゃんから〈ゆにさん、鳴海くんのCDを注文してたよ〉と聞いたんです。もともとゆーきゃんから僕の話は聞いていたとは思うけど。それでゆにさんとやりとりして〈来てくれますか?〉と頼んだら来てくれました」

――そこからゆにさんが鳴海さんの“雪が降る”をカバーしてCDに収録する関係にまでなるんですもんね。

「あの曲を気に入ってくれたみたいで」

――長谷川健一さんも同じ“雪が降る”をライブでカバーしているんですよね。

「そうなんです」

――そういえば鳴海さん、ハセケンさんに林檎を送ってませんでした?

「毎年送ってますよ。ライブを一緒にやった離れた場所の人にはその年は送ろうと思っていて。でも数が増え過ぎてき、ちょっと〈注文してください〉という感じもありますけど(笑)」

――mmmさんも?

「はい。でもあの人は住所が変わりがちで送り続けてないです(笑)。」

【『銀色の丘』の世界】

――『銀色の丘』はコンセプト・アルバム?

「全然そんな風には考えてなかったです」

――でも、曲の並びがそこで歌われている季節を辿るように順繰りに置かれていたので〈これは何かあるな〉と思って。

「あれ、順繰りでしたっけ?」

――夏に始まり(M1)、冬(M2)、“三月”(M3)、梅雨(M4)、また夏に戻って(M5)晩秋で終わる(M6)という…。

「あ、ほんとだ(笑)」

――(笑)。これに気付いたときに〈曲順のルールを見つけた!〉と思ってました。

「曲順を考えたのは制作の最後の頃でしたね」

――しかも各曲のタイトルの中に〈海〉〈雪〉〈月〉〈空〉〈火〉〈丘〉という単語が入っていたので、〈これは意図があるはず〉と深読みしてたのですが(笑)。風土をテーマにしているのではと。

「それは僕も出来上がってから気付きましたね。『銀色の丘』というアルバムタイトルにしたのも、この曲が一番内包しているというか…全体を包み込んでいる気がして。〈銀色の丘〉と聞くと、特に県外の人は冬の歌を想像したと思うんですが、実は秋の歌で。〈銀色の丘〉というのは(林檎用の)反射シートでいっぱいになった状態の丘のことなんです」

――そうだったんですね! 一体〈銀色の丘〉って何のメタファーだろうと歌詞を読みながらすごく考えて。歌詞を読むと〈生と死のサイクル〉というか、再生や輪廻のような循環が歌われているように思えました。

「そういうことも(普段から)考えていることなのでちょっとは影響が出たかもしれないですけど、基本的には太陽の歌なんです」

――あーー!

「秋に林檎畑が反射シートで光まみれになるんです。遠くから見るとキラキラ光っているだけですけど、その中にいると異世界のような雰囲気があって。畑がわりと小高い丘にあって…それと山手にある家の近くで、売り物ではない野菜も作っているんですが、そういった丘から景色を観ることが多いんです」

――そういえばオープニングの“海へ”もそういった描写から始まりますね。

「あれは林檎畑の近くに志賀坊高原という場所があるんですが、そこから見た描写です。“銀色の丘”は、反射シートを敷く季節に津軽平野を高いところから見下ろすと、稲も実ってきていて〈この感じを歌にしよう〉と思って。そのときに、変に太陽信仰みたいな歌になるのもイヤだったのでどうしようかなと」

――個人的には翳りのような部分も強く感じて。例えば〈闇へと旅立ち名も無い星になる〉とか。

「それは翳りではなくて、太陽の光が宇宙に散らばっていくイメージでした。どこかにその光が届いて、誰かが認識してくれていたら嬉しいなとか、夜に星を見るように何かが太陽を見ていたらいいなと思って。色んな偶然で今のこの景色があることが嬉しいな、という歌なんです」

――はぁ〜なるほど。どこか哲学的なテーマでもありますね。これをアルバムのタイトルに持ってきたというのは、鳴海さんの中で手応えのようなものがあったんですか?

「聴いた人に人気があるのは“雪が降る”か“火まつり”だと思うんですが、“銀色の丘”は詩が自分で気に入っていて。この6曲の中では一番スケールの大きいテーマの世界の曲だし」

――そうなると面白いのが、このアルバムって丘に始まって丘に終わるんですね。

「たしかに。それも偶然です(笑)」

――いろいろ偶然が重なるんですね。オープニングの“海へ”って、タイトルから受ける印象もサウンドも開放的なのに詩を読むと一辺倒ではなくて、一筋縄じゃいかない感じがしました。

「よく高原に行って、天気がいいときは日本海が見えるんですが…たしかに暗い印象はあるのかもしれない。〈どこへも逃げられないような気がしている〉とか。でもそれはふと思ったんですよ。景色はすごく開けているのに」

――でも分かります。青森って本州の端っこで、三面を海に囲まれているから〈追いつめられて最後のどんづまりで中央からここまで辿り着いて、もう逃げ場は無い〉という終着点のような感覚に陥ることがあって。だから津軽の人間としては共有できる感覚かもしれない。その次の“雪が降る”は再録ですが、原曲はいつ頃に作ったんですか?

「2008〜2009年頃だったかな?」

――完成したときは〈会心の作品だ!〉って手応えがあったんですか?

「それがそうでもなくて。1枚目の作品をノースモールから出しましょうという話になったときに〈じゃあこれも収録しようか〉くらいの感覚でした。『美しい叫び』を作り終えたときに〈これはすごいものができた〉という手応えはあったんですが、曲そのもができたときはそれほど感じませんでしたね」

――“雪が降る”はシンプルなラブソングだけに、逆にアルバムの中では目立ちますよね。

「これは方々でバラしてますが、実話なんです(笑)」

――そうでしたか(笑)。

「(弘前市の)土手町の紀伊国屋書店の前あたりの話です(笑)」

――そんな赤裸裸な(笑)。でも今回、改めてバンドのアレンジになってご自身で聴いてみてどうでした?

「バンドアレンジは自分で編曲を考えて、できるかぎりのことはやったと思うんです。メンバーも(アイディアに)すぐ対応してくれて。でも初めてのバンドでのレコーディングだったので、勝手がよく分からなくて。今回はその勉強だったかなという感じはしますね。どこまで自分でやって、どこから任せても大丈夫なのかとか」

――これまでバンドをやった経験はあるんですか?

「ろくにないですね。カバーくらいならあったけど、自分の曲を演奏したのは本当に初めてで。特にピアノなんて自分で弾けないから」

――じゃあピアノのアレンジはどうやってやったんですか?

「打ち込みの鍵盤で修正しながら、拙く音を入れたデータを送ってやりとりしました。スタジオもメンバーも、そう何日もおさえられないから録音する時間が少くて。そこが課題ですね。そういう意味では、青森にいるかぎりは宅録の方が向いて部分はあるのかもしれない。本当はネチネチ手直ししたいタイプなんです(笑)。メンバーが良いから結構なバンドサウンドにまとまったとは思いますけど」

――感触としては〈もっとできた〉という思いもあるんですか?

「やれたけどやれない、みたいな。次はその部分をどうするかというのが課題ですね」

――ちなみに収録曲で一番新しい曲はどれになるんですか?

「ちょっと曖昧だけど、“三月”か“空色の窓”でしょうね」

――“三月”って、どうして〈三月〉なんですか?

「タイトルを付けたのはこれが一番最後で。そこまで深く考えてはなくて、三月の頃の歌なんです。知人が結婚するという話を聞いたあたりの時期に作っていたので、そういう雰囲気はあると思いますけど」

――あぁ、全然違うふうに捉えてた。やっぱり東日本大震災以降、〈三月〉ってどうしても特別な意味を帯びちゃうなと感じていたので。〈轟くような水の流れ〉という一節も出てくるし。

「その部分は、雪融けの時期の川が増水した様子です。あれもちょっと怖いんですよね。とはいえあれ以降、震災の影響は受けたと思います。それは僕だけの話じゃなくて、色んな作り手が意識を変えられたんじゃないかな。僕も震災以降に作った曲は、だいたい(影響が)あると思う」

――当たり前のことかもしれないけど、震災以降の世界を生きて歌っていると。でも歌を歌うって結局はそういうことだとも思いますけどね。それで“空色の窓”はアルバム中唯一の弾き語り。

「実はこれ、スケジュールの関係で〈弾き語りも収録しないと、全部バンドだとキツいな〉というのがって」

――そんな現実的な理由だったのか(笑)。でもアルバムの真ん中にこの曲があることで、いい流れが生まれている気がします。

「本当はもう1曲弾き語りの曲があったんですが、あんまり良くなくて外しました」

――“空色の窓”だけじゃないけど、今回のアルバムは全般的にコーラスがキーになっている気がしました。

「それはさっきの話と繋がっていて、〈もっと作品を作り込みたい〉という部分で、コーラスだけは家に帰ってきてから録ったんです。作り込めるパートはここしかないなと思って」

――包み込むようなアレンジのコーラスが多くて、まるで膜に覆われているような。

「そうですね。最初に出した“雪が降る”にもコーラスが入っているんですが、あれがけっこう気に入っていて。それに近い雰囲気でコーラスを足したいとは考えていました。昔から声が重なる感じががすごく好きで。中学校の頃に合唱をやるじゃないですか、全校生徒で学年ごとにパートを変えて。あの時のひとりでやたらテンションが上がってた記憶があります(笑)。今回はやり過ぎないように注意はしましたけど」

――なるほど。アルバムを聴いていくと、“空色の窓”の最後のコードの余韻が静かに減衰して消えていった次の瞬間、“火まつり”の最初の一音のアタックが力強く現れる場面がとても好きで。

「あれいいですよね。多分ピアノが効いてるんでしょうね」

――“火まつり”はねぷたを題材にした曲なんですよね。それは黒石のねぷたということですか?

「いえ、そこは〈ねぷた〉でも〈ねぶた〉でもいいんです。歌詞にもありますけど。極彩色の灯があって、それを見ている人たちもその色に染まりながら、夏なので汗ばんでキラキラと見えるような情景が好きなんです」

――ねぷた祭りが終わった直後、まだ興奮を引きずりながらも寂しさを覚えるような心情がうまく表現されていて。

「祭りのど真ん中に飛び込んで行って跳ねたり騒いだり、というのはあまり得意じゃないんですが、そういう風景を見ているのは好きなんです。この曲は2枚目の音源のタイトルにもなってるけど、あの作品の中では一番最後に出来たんです。2011年の暮れ頃に作ったんじゃないかな」

――“雪が降る”は2008〜2009年、“雪が降る”は2011年で、それ以外の4曲はここ1〜2年に作ったものですか?

「そうなりますね」

――実際こうして音源という形に制作してみて、ご自身の手応えとしてはどのような感じですか?

「周りの人たちは割と褒めてくれますね。ゆにさんなんかにもよく言われるんですが、僕って〈あまり人に教えたくない〉という存在らしくて。リリースした直後は〈反応があるかな?〉と思ってTwitterを見てみたけど、特に何も書いてなかった(笑)。音源をリリースして誰かの手に渡った時に、作品と自分との間の距離がパッと開く瞬間があって、それがすごく好きなんです。正直出す前は自分ではよく分からなくなっていたんですけど、最近少しは客観的に聴けるようになってきて。迷いながら作ってた割には意外とまとまってるし、そんなに深く考えるまでも無かったかなという気もしています(笑)」

――〈迷い〉のような部分は、僕はあまり感じませんでしたよ。

「やっぱり〈自分の曲〉だなぁ、と。それが多少なりとも面白がられているのが理由なんでしょうね。そんなに考えたわけじゃないけど、周りの風景のことばっかり歌っているし」

――シンガー・ソングライターって、1本のギターや1台のピアノを使いながら自分ひとりだけと向き合って言葉とメロディーを紡ぐという作業を突き詰めると、どうしても自我と直面せざるをえなくなって〈個の自分〉に閉じた表現に固執しやすい傾向があると思うんです。日本人のシンガー・ソングライターは特に。でも鳴海さんの場合、あまり自我の存在を強く感じさせないというか、むしろ鳴海さん自身の姿が歌の中からは見えてこない部分が僕はすごく面白くて。

「それは今回の作品を作るときは意識していました。人の存在を消す、というか。これもさっきの話に繋がるんですが、小高い丘の上から景色を眺めていると、自然の中に家や街が成り立っているのがすごくよく分かるんです。その時に、人間の作り出したものが全く無い風景を想像することがあって」

――また丘の話が出てきましたね。

「世間には〈人対人〉の歌はすごく多いじゃないですか。僕はそういう環境にいたせいか、あまり自分の中で(人対人をテーマにした作品づくりが)うまく出来なくて。歌の中に人の存在はもちろんあるんですが、あくまで〈景色の中にいる人〉という雰囲気が出てると思いますね」

――シンガー・ソングライターとして、俯瞰した目線が鳴海さんの特色のひとつだと感じました。ではそろそろ締めたいんですが、鳴海さんは地元での知名度が小さい気がするので、あえて地元の人に向けて声をかけるとしたらどういった部分を聴いてほしいですか?

「風景のこともあるし…この辺の人が聴いてくれたら面白いんじゃないかとは思うんですけどね(笑)」

――でも今日話を聞いてみて、最初は〈住んでいる場所や風土が、意外と鳴海さんの表現とは影響が希薄なのかな〉と思って驚いたんですが、曲の話を掘り下げてみて〈やっぱりそんなことないな〉と確信しました。鳴海さんが津軽の黒石に生まれ育って、りんご園に勤めていることは、結果としは歌にはっきり滲み出ているなと。

「うん、それはそうですね。僕が違う場所に引っ越したらそこの風景の歌になるだろうし…(表現が)暮らしの中から出てくるタイプなので。ここにいるからここの歌になる。この街をどうこうとか、余計な荷物は歌には背負わせたくないという気持ちがあって。〈街のために歌っています〉と謳った方が応援してくれるのかもしれないけど、それを言っちゃうとすっきりしないし、嘘をつくことになるから」

――鳴海さんの地元に対するスタンスがよく分かりました。最後に、これからの目標などがあれば。

「今、どちらかというと音楽をやってる人や、本当に音楽が好きな人が(自分の音楽を)聴いてくれているイメージで、それはそれですごく嬉しいんですが、そういう人たちって聴き方がちょっと違うんじゃないかと思うんです。目の付け所だったり。今の時点での作品の良さというよりは、僕が持っている可能性も込みで聴いてくれているような印象を受けていて」

――暖かい環境とも言えるけど、もっとあるがままの評価があってもいいと。

「例えば、歌をもうちょっと上手く歌えるようになるともっと色んな人が聴いてくれるのかなと思って。どうしてもライブより曲を作る方が好きなので技術が疎かになりがちなんですけど、もう少し技術的な部分も頑張ってみたらみんなの反応はどうなるのかな、とか」

――ここにきて〈歌が上手くなりたい〉発言が出てくるとは(笑)。

「歌は上手くなりたいですよ(笑)。あまり変な…〈歌手!〉みたいな感じではもちろんないんですけど」

――はい。

「聴き手が抗えずに聴いてしまうような曲が作りたいですね。僕の歌は分かりにく歌詞だったりもすると思うので。歌詞から入る人は多いだろうから、僕の曲を聴くと〈あ、そっか…〉という反応が多いと思うんです。歌はメロディーと言葉のパズルなので、それをとにかくどんどん追求していきたいという気持ちはこれからも変わらないと思います」

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